夢はあきらめなければ必ずかなうと話す笠松さん
夢はあきらめなければ必ずかなうと話す笠松さん

料理五輪銅メダルの笠松先輩 母校の寺田西小で後輩を激励

城陽市立寺田西小学校(永野壽治校長・児童328人)に12日、4年に1度開かれる料理のオリンピックで銅メダルを獲得したシェフが訪れ、「夢をあきらめない」をテーマに授業を行った。その銅メダリストは同校の卒業生、後輩たちに「夢は持ち続ければ100%かなう」と自身の感動体験を通して語り掛けた。児童らは、先輩の話を食い入るように聞き入った。

母校に凱旋したのは1991年3月に同校を卒業した滋賀県草津市にあるクサツエストピアホテル宴会料理長笠松研太さん(40)。笠松さんは、寺田西小、西城陽中、府立西城陽高校と地元育ち。高校卒業後、料理の道を志しクサツエストピアホテルに就職。
2016年10月にドイツで開催された第24回「世界料理オリンピック」で、日本人チームの一員として参加、個人競技で銅メダルを獲得した。同オリンピックには、世界74ヵ国から総勢1500人の料理人が参加、6日間にわたり国対抗、個人戦で世界最高の称号を競った。
笠松さんは、ホテル社長の「地域貢献を」との方針で、地元草津市の学校で夢を持つことの大切さを話す「生き方学習」を行っている。こうした活動を知った城陽市にある実家の近所の人が、母校である寺田西小学校に紹介。学校側の依頼でこの日の授業が実現した。6年生2クラス65人が授業を受けた。
笠松さんは、小学生の頃から料理に何となく興味を持っていたが、中学生の時のテレビ番組「料理の鉄人」に魅了された。和・洋・中華の鉄人が、まちの腕自慢から挑戦を受け会場でガチンコ勝負、審査員が勝敗を決める人気番組。中でも笠松さんは、料理人をドキドキさせる料理研究家の岸朝子審査委員長の決めゼリフ「おいしゅうございます」が大好きだった。
料理人を目指した目的のひとつに、「岸さんからあのセリフが聞きたい」との思いがあった。偶然にもチャンスが巡ってきた。会社から「出ないか」と声を掛けられた料理コンクールの審査委員長が岸さんだった。
全国から1270人が参加し、レシピや作品の写真など書類審査で100人に絞り、東京会場の予選は第1次で30人にしぼり、第2次でさらに10人が残る。テレビ放映された決勝戦はその10人が審査員の前で料理の腕を振るい、食べてもらい点数が付けられる。3位だった。審査講評であのセリフを期待していたが、聞けなかった。しかし、思いが通じたのかコンクール終了後のレセプション会場で、岸さんと直接会話をかわすことが出来、別れ際に小さな声で「おいしゅうございました」を聞いた。
料理オリンピックでは、福島原発事故の影響で、放射能汚染を心配するドイツ政府の措置で日本チームの荷物が会場に届かず、大使館などに動いてもらい、ギリギリに届くというハプニング。さらには、そのことがニュースに流れ、窮状を知った他国の選手が、「必要なものがあれば言ってくれ」と温かく協力を申し出るなど“天国と地獄”を見た経験を話した。その上で「これからの人生で、必ず壁にぶつかる。真剣に頑張れば、必ず見てる人が助けてくれる。逃げない、あきらめない、そうすれば夢はかなう」と思いを伝えた。
このあと笠松さんは、オムレツとシーフードピラフの2品目を、児童らの前で調理。タマネギのみじん切りは、よく切れる包丁を使えば、涙が出ないこと。甘味を出すためタマネギは、弱火でじっくり炒める、最後にバターを少々で仕上げるなどデミグラスソースの作り方を伝授した。笠松ワールドのとりこになっていた児童らは「わぁ、すげぇ」を連発していた。
母校で後輩に授業を行った感想を笠松さんは、「僕たちの頃は、4クラスありましたが今は半分しかなく少しさみしいかな。でも皆元気で、真剣に話を聞いてくれたので、とても充実した気分。この中から、1人でも料理を目指す人が出てくればうれしい」と話した。【藤本博】