宇治市民大学で講演する杉本宏さん(宇治市生涯学習センター)

菟道稚郎子の実在説、追い風に

「宇治上神社の謎を読み解く」をテーマにした宇治市民大学が21日に開かれ、京都造形芸術大学歴史遺産学科教授の杉本宏さん(61)が講演した。宇治市の文化財専門職員として幅広い発掘調査に関わってきた杉本さんは、菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)は歴史上実在した人物で、その墓は仏徳山(大吉山)にあり、「宇治宮」と呼ばれた菟道稚郎子の居館はふもとの宇治上神社付近にあったと考えるのが妥当だと指摘。宇治川を挟んだ平等院の対岸に広がる仏徳山を中心にした宇治川右岸の丘陵地が、新たに名勝「宇治山」として国の指定を受け、北側に続く二子山古墳(宇治山本)なども史跡指定を受けるなか、「菟道稚郎子の実在が歴史の射程に入った中、実態解明に向けた調査を進めてほしい」と述べた。

菟道稚郎子は古墳時代の応神天皇の皇子で宇治神社・宇治上神社の祭神として崇敬される宇治の地主神。
これまでは戦前の皇国史観への反省や記紀批判から、応神天皇から仁徳天皇へと皇位を禅譲する際に創造された説話上の人物との見方が定説となっていた。
その一方で、宇治川右岸、川東山上にある5世紀の宇治二子山古墳(北墳・南墳)の調査で埋葬された人物が記録にある宇治宮に従った宇治連(うじのむらじ)、宇治部(うじべ)と呼ばれる豪族ではないか――とする説が浮上。説話装置の創作として切り捨てられてきた菟道稚郎子を宇治宮の主として歴史上の人物とする見方が近年、文献史学や考古学の知見からクローズアップしている。
講演では、杉本さんが2004年に年輪年代法の測定で宇治上神社(本殿、拝殿)が1060年に伐採したヒノキ材で同時に建てられたとの科学的な知見をベースに、宇治川を挟んだ宇治宮と平等院の位置関係に着目。
宇治上神社を建てた1060年ごろは、現世の極楽浄土を示す平等院(1052年創建)の鳳凰堂内で父道長から建物を譲り受けた藤原頼通が、堂内の荘厳化を指揮していた真っ最中の時期とも重なる。
その上で、宇治上神社を造営したのは、平等院を彼岸、宇治上神社を此岸として意識した藤原頼通と考えるのが妥当だと指摘。宇治川を挟んで仏徳山(此岸)と平等院(彼岸)の位置関係を見抜いていた藤原道長の意図をふまえ、「異界との接点」として宇治をとらえ直す独自の視点を示した。【岡本幸一】