お祝いメッセージ届け/宇治田原町・電話開通100周年
昔話に花を咲かせる内田さん(左)と反橋課長

宇治田原町の電話開通100周年を記念して、宇治田原の歴史を語る会の代表、茨木輝樹さん(75)とNTT西日本の職員が24日、当時のまま電話番号を使用している家を訪ね、お祝いの言葉を伝えた。
日本では、1869(明治2)年に東京、横浜間で電信が開通し、1890(明治23)年に同間で電話が開通、東京で155人、横浜で42人が加入した。それから29年後となる1919(大正8)年1月26日、宇治田原町(田原郷)にも20台の設置が認められた。
前年より設置の工事が始まり、茶商や医師、旅館など20人の申し込みがあった。当時の地域新聞、山城新聞にもその記事が掲載されている。
当時の番号がそのまま、今の10桁の電話番号に引き継がれ、現在も使われている場所が町内で8軒あるという。これらは今月26日に電話開通100周年を迎えることになる。
この日、NTT西日本の企画総務部広報担当、反橋雅浩課長がお祝いに駆け付け、茨木さんと同行。留守宅を除く2軒を訪問した。
最初に訪れたのは、当時12番の電話番号を使用していた同町立川の老舗「大正園茶舗」。一行は奥村由起子代表(79)と会い、昔話に花を咲かせた。
電話開設当時のことを先代からよく聞いていたようで、当時はお産や病気など緊急時の際に、電話を利用しようと近隣の住民がよく出入りしていたという。電話を設置したことで「人がいっぱい来た」と話した。
当時使用していた電話機は受話口が分かれているタイプで、高い場所に設置。レバーを回して発電すると、電話交換手に繋がるので、口頭で番号を伝え、相手先に繋げていたという。
次に訪れたのは、当時7番の電話番号を使用していた郷之口の老舗「内田三春園」。内田文夫代表(71)は子供時代の記憶をたよりに昔の電話事情を語った。近隣住民が電話を借りに来たほか、近隣住民への着信もあり、1㌔離れた家まで自転車で呼びに行く事もあったという。「あの時は走るのが大変だった」と振り返った。
また、恋人同士のデートの約束もその電話で行われていたといったエピソードもあった。内田代表は「今は小学生がタブレットを持っている」と時代の進化の速さに驚きの声をあげた。
内田三春園には、当時使用していた「電話・七番」と書かれた表札や、当時の写真なども残っていて、反橋課長が物珍しそうな表情で手に取っていた。
このほか、茨木さんが記念品として、当時発行された山城新聞のコピーを内田さんらに手渡した。