後円部下段の直径110㍍/城陽・久津川車塚古墳
縦方向の石列が確定できた後円部主軸上の発掘現場

城陽市教委は28日、南山城地方最大の前方後円墳で国史跡・久津川車塚古墳=古墳時代中期築造・同市平川=発掘調査で「後円部の規模を初めて明らかにすることができた」と発表した。また、3段構造の中・下段テラス幅も確認し「中段より下段の方が1・4㍍広いことも判明した」とし、当時の大首長が祀られた墓の全容解明にまた一歩近づいたようだ。
久津川車塚古墳の史跡整備に向けた市教委の調査は、2014年度から始まり、今年度で6年目。市史跡整備委員会委員の岸本直文教授(大阪市立大学)と長友朋子教授(立命館大学教授)の指導や学生有志らの協力のもと8月1日から9月末までの日程で、後円部の4カ所をトレンチ(掘り下げ)して進めている。
発掘場所は、後円部の北西側に位置。3段構造の古墳形状の規模がほぼ確定する大きな成果を得た。
市教委の発表によると、後円部の直径は下段で「約110㍍」、中段で「約85・5㍍」、上段で「約66㍍」。また、これまで違いが分からなかったテラス幅は中段「約4・1㍍」、下段「約5・5㍍」と確定付けられたことにより、南山城最大の久津川車塚古墳の全容解明に大きく前進したという。
さらに、テラスは中段が「ほぼ水平」なのに対し、下段は「地盤の高さにより、西側と東側で高低差を設けている」ことも確認。
このほか、後円部北側の主軸上に設定したトレンチ場所では、中段斜面の葺石で「斜面を区切る縦方向の石列」を検出した。
原形はとどめていないものの、4カ所の発掘現場で埴輪8本も出土した。
岸本教授は「今後、久津川車塚古墳を史跡整備するにおいて正確な寸法を押さえられたことは大きい。誉田御廟山古墳(大阪府羽曳野市)など、大王墓の解明にもフィードバックできる貴重な資料となるかもしれない」とコメント。
一方、長友教授は「古墳西側からの見栄えをよくするよう大き目の葺石を配する傾向も確認できた。古墳は(埋葬されている人の)権威の象徴でもあり、限られた石材を有効に使い、西側から見てもらう意図が感じられる」と考古学的に分析した。

■31日に現地説明会
府南部最大の久津川車塚古墳は墳丘長約180㍍の3段構造、外濠を含めると全長約270㍍の大きさ。築造は5世紀前半。1894(明治27)年に行われた奈良鉄道(現JR奈良線)の敷設工事の際、後円部で長持形石棺が発見された。市教委は2014年度から10カ年計画で発掘調査を続け、史跡公園整備を目指している。
なお、今年度分の発掘成果に関する市民対象の現地説明会は、31日(土)午後1時~3時まで開かれる。場所は、近鉄久津川駅から東へ徒歩約10分。駐車場はない。当日の問い合わせは、市教委文化・スポーツ推進課文化財係℡56‐4049まで。