碑が語る 槇島の歴史/宇治で講演とまち歩き
資料を参照しながら槇島小跡地について説明する吉水さん㊨(槇島児童公園)

京都文教大学と宇治市文化財愛護協会主催の「槇島エリアの碑(いしぶみ)をめぐろう!」のイベントが18日、宇治橋通りの「ぶんきょうサテキャン宇治橋通り」で開かれた。
集いは市歴史資料館の協力で開催。2013年から毎年開いており、中宇治をはじめ東エリア(菟道~木幡)や西エリア(神明、大久保)などに点在する碑を巡るまち歩きを実施してきた。
この日は、元歴史資料館長で文化財愛護協会の理事長を務める吉水利明さんが講演を担当。高齢者アカデミーの受講生ら10人が参加し、地域マップを見ながら事前学習した。吉水さんは、同協会が14年に発行した「新・宇治の碑」の執筆者でもある。

槇島児童公園の敷地にある「槇島小学校創立の地」碑

まち歩きでは、宇治川左岸の堤防付近にある槇島村道路元標をはじめ、槇島城記念碑、巨椋池干拓之碑、自由律俳句で知られる種田山頭火の句碑「花いばらここの土とならうよ」(皆演寺境内)などを見て回った。
道路元標の場所から100㍍歩くと、現在の槇島児童公園内に、1882(明治15)年に開校した「槇島小学校創立の地」碑が見つかる。槇島小は1968(昭和43)年に現在の場所(槇島町吹前35)に新築移転した。
ガイド役を務めた吉水さんは、旧槇島小のエピソードとして▽宇治市で6番目に古い▽同小ができるまで子供たちは菟道小へ通っていた▽村役場が近くにあり人の往来が多く、寺子屋も営まれていた…などと紹介。年配の参加者らが遠い昔に思いを馳せた。
一行は約3時間の散策を終え「槇島城跡の碑」で解散した。なお、サテキャン宇治橋通りでは「宇治の碑めぐり・あっち、こっち、どっち??」と題したパネル展を30日(金)まで開いている。

槇島エリアに点在する碑を示した地域マップ