平安後期に中宇治地域の市街地形成か/貴族の別荘の大型井戸出土
平安時代後期のものとみられる大型井戸

宇治市宇治壱番26番地2他にある本紙の旧社屋跡地(宇治橋通り沿い)から、平安時代後期とみられる大型井戸などが発見された、市が発表した。県通り、本町通り、宇治橋通りに囲まれた三角形街区を中心とする現在の中宇治地域の市街地は「室町時代に、ほぼ同規模な町に発展した」とされてきたが、平安時代後期に遡ることが推測される今回の発見。中宇治地域の成り立ちを探る上で、貴重な発掘成果となった。
中宇治地域は、古墳時代前期の渡来人集落の遺構が見つかっているが、本格的な街が形成されたのは、11世紀に創建された平等院の西側に平安貴族の手によってとされている。現在の県通り、本町通り、伍町通りに面した宇治街区(約280㍍四方)は、その名残り。ここを中心に、平安期の庭園・邸宅等の遺構が多数見つかっている。
今回、宇治街区から西に約190㍍離れた場所において、ビジネスホテル「東横イン」の建設に先立って昨年12月16日から発掘調査を実施。平安時代後期とみられる大型井戸、小鍛冶の関連遺構、柱跡などをはじめ、室町時代の集石遺構、江戸時代の埋め甕などが見つかった。
大型井戸は方形堀方で一辺が約3・6㍍、深さが2・6㍍以上で、通常の一辺が1~2㍍、深さ約1㍍と比べて大きかった。市は「宇治市街遺跡で最大規模の井戸。藤原氏など平安時代の貴族の別業(別荘)に関係するものと思われる。当時、本町通りに面して別業があったのではないか。そこでの饗宴に使うため、大量の水が必要だったのでは」と推測。つくられた時期は定かではないか、埋められた時期は、井戸の中から出土した食器(皿、碗)、煮炊用の羽釜などが12世紀後半のものと分かった。
現在の中宇治地域の三角形街区は、室町時代に現在の宇治橋通りが整備された時期に、現在とほぼ同規模になった、とされている中、今回の大型井戸の発見は、それを覆す可能性を持つもの。市街地の南西部まで別業が存在する可能性があり、市は「平安時代の別業都市宇治の広がりが、現在の市街地とほぼ重なる広大なものであったことが理解でき、大きな成果」と述べた。

焼けた土が特徴的な小鍛冶関連遺構

京都芸術大学の日本庭園・歴史遺産研究センターの杉本宏・日本庭園研究部門長は「別業都市宇治の広がりは従来想定を越えて、かなり西に広がることになる。平安期宇治の別業の実態を考える上で、重要な発見であり、今後のさらなる調査に期待したい」とコメントした。
また、小鍛冶関連遺構では焼いた土が確認でき、日常生活で使う鉄製品を加工していたものと推測される。焼けた土は、大型井戸の埋め戻しに使われており、同じぐらいの時期に使われていたものと類推。市は「平安時代の貴族の邸宅における手工業の実態を知るものとして重要な発見」と話した。