【脇坂英弥(環境生物研究会・巨椋野外鳥類研究会)】
「鳥の生態は分からないことだらけ」
◆分かっているのはほんのわずか
フィールドを舞台に鳥の生態を調べたいと思っても、何から始めてよいのか分かりませんし、そもそも何が分かっていて何が分かっていないのかの判断もつきません。もちろん私が初心者の頃もそうでした。そんな私が中川宗孝先生に弟子入りして鳥の見方を教わっているなかで驚いたことが、鳥の生態の多くが調べられていないこと。逆の言い方をすれば、分かっていることがほんのわずかしかないという事実です。本屋の図鑑コーナーをのぞいてみると、そこには様々な野鳥図鑑がずらりと並んでおり、これらを読めば鳥のことは全て理解できるものと思っていた私には衝撃でした。
例えば、鳥の雌雄の見分け方、鳥は何羽いるのか、渡り鳥はどこからやってきてどこへ向かうのか、何を食べているのか、どうやって子育てをするのか等々。案外、素朴に思うことほど未解明だったりします。そのため、私のような初心者であっても真面目に鳥の観察をすれば新しい発見ができることを知り、やりがいを感じたことを今も鮮明に覚えています。
山城地方を代表するケリという鳥。ほとんどの研究者やバードウォッチャーがあまり着目しなかったこともあり、「観察したデータの多くは貴重な記録となる」と中川先生から教わりました。私でも鳥類の研究者になれるかもしれない。そんな夢を抱きつつ、ケリの雌雄の識別ができるのかどうかを中川先生と研究することになりました。
◆標本を調べてみる
外見で雌雄が分からないのであれば、雌雄の分かっている個体をよく観察して両者の違いを比べるのがセオリーです。雌雄の分かっている個体、つまりそれは標本です。鳥の外見から性別が分からなくても、標本なら精巣や卵巣をチェックしているので性別が確認済みです。
それが可能な場所と言えば、鳥の研究を専門にしている研究機関である山階(やましな)鳥類研究所です。この研究所には約6万5,000点の鳥の標本を管理しています。まだ鳥を学び始めて間もない私でしたが、中川先生の紹介で山階鳥類研究所(千葉県我孫子市)へうかがうチャンスを得ました。緊張の面持ちで研究所に到着すると、さっそく標本室に案内され、ケリの標本20点を用意してくださいました。ノギスと記録用紙をカバンから取り出し、1点ずつ雌雄や翼長や翼爪の大きさ、色などを確認できたことはこの上ない貴重な経験でした。
次に向かったのは兵庫県神戸市。ケリの雌雄の見分け方のヒントが記されていた唯一の図鑑「原色日本鳥類図鑑」の著者・小林佳助先生のご自宅です。幸運にも知人のご紹介で小林先生からお話をうかがう機会を得ました。小林先生はまだ若かった私に対しても気さくに接してくださり、そして大切なコレクションであるケリの標本を惜しみなく見せてくださいました。そこで小林先生からいただいた言葉が「ケリの雌雄は外見で分かるのかなぁ。まぁ、調べてみたらどうですか」。憧れの小林先生からいただいた意外で衝撃的な言葉に、背中をポンと押された気がしました。
◆ケリの捕獲とDNA解析
2007年、いよいよ鳥類調査の開始です。この頃、鳥類の生態研究においてもDNA解析が盛んになっており、ほとんどの鳥の性別をDNAから解析できる技術が確立されていました。それもわずか一滴の鳥の血液があれば充分とのこと。その技術を学びたいと考えた私は、京都工芸繊維大学・応用生物学科に社会人枠で入学し、そして染色体工学研究室の伊藤雅信先生のもとで鳥類の遺伝子を解析する環境にも恵まれました。
私たちが考えた研究の流れはこうです。まずケリの成鳥のペアを安全に捕獲し、個体を識別できるように色のついた足環をつけます。その後、その鳥の体の大きさや翼の長さ、翼爪の長さといった体の各部位の計測をします。そして翼の付け根からほんのわずかの血液を採り、鳥をもとの場所に放したらフィールド調査は終了です(放鳥したケリは元気に飛んでいきます)。もちろん、この時点ではペア2羽のうち、どちらが雄でどちらが雌なのかは分かりません。次に行うのは得られた血液を大学の研究室に持ち帰り、そこからDNAを取り出して雌雄判別のための実験をします。判別ができたら、体の各部位の計測値を雄と雌に分けて解析します。
よし、これでうまくいくはず。計画が決まれば、実行あるのみです。
◆結果をまとめると
この方法で、2007年と2008年の2年間で合計26個体のケリの成鳥を解析できました。そして雄と雌で外見に違いがないかを調べてみると、次のことが分かりました。①雄は雌よりも体がわずかに大きい、②翼爪の長さは雄の方が明確に長い、③色彩は雌雄で違いがない。
結論として、成鳥の翼爪の長さを確認できれば雌雄の判別はある程度できるが、野外でそれを見分けるのは難しい、ということが分かりました。野外のケリを外見だけで雌雄判別できれば、との思いで取り組んでみましたが、そう簡単ではありませんでした。逆に言えば、ケリの雌雄は限りなくよく似ているということ。それはそれでおもしろいです。
一方でこんな話もあります。人間の目には同じに見える色であっても、人には見えない紫外線のもとでは鳥が異なる色に見えていることが、海外の研究で明らかになっています。例えば、ヨーロッパに分布するアオガラという鳥は、一見、雌雄が同じように見えますが、紫外線のもとでは雌雄の頭部の色が異なっているそうです。人間には違いが分からなくても、紫外線領域を見ることのできる鳥には、簡単に雌雄の判別ができるのでしょう。もしかしたらケリも紫外線のもとでは異なる色に見えているのかもしれません。いつか試してみたいと思っています。
さて、今回ご紹介した研究成果は、脇坂・中川先生・伊藤先生らの共同研究として論文にまとめ、日本鳥学会に発表しました。興味のある方がいらっしゃいましたら、ぜひ次のサイトからご覧ください。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/osj/5/1/5_1_133/_article