宇治・山城地域に残る地名について深く知ってもらおうと、第55回「地名フォーラム」が18日、生涯学習センターで開かれた。京都地名研究会の小寺慶昭会長が、宇治橋「三の間」に関する研究発表を行った。
架け替えを繰り返し1996年に完成した現在の宇治橋は、竣工時に府が発行したパンフレットで「三の間・銘水を汲み上げた故事を継承する張り出し部」として紹介されている。
三の間の起源については「宇治橋ができたとき(646年)からある」との声もあり、詳細を確かめるため小寺さんが文献を収集。1983年発刊の「宇治市史年表」に「1636(寛永13)年に宇治橋新造に伴い三の間が作られた」と記述があり、江戸期に描かれた複数の絵資料と合わせても妥当な建造時期だろうと判断した。
また、三の間に橋姫を祀る祠を描いた絵が、1799年の川口好和著「諸国奇遊談」にあるが、絵の中の石塔は河川氾濫による水没で当時は存在しなかったことなどからみて、絵は実際の風景を写したのではなく想像で描かれたもので、三の間は従来から「空白の場所」だったと推測した。
最後に、柳田國男氏の文献などを引用しながら、橋の袂に鎮座していた橋姫が古来から守護神として祀られていたことを紹介。聖と俗の境界に架かる橋の「三の間」は、聖なる場所の入口と考えられるのでは…と自説を展開した。
このほか、フォーラムでは南陽高校の小西亘教諭が登壇し、文学地名で知られる山吹の瀬と相楽山のルーツを題材に講演した。