古代の祭祀施設を発見/城陽 小樋尻遺跡
検出された自然流路内部の導水施設

城陽市富野久保田の小樋尻遺跡から、山城地域最大級となる古墳時代の流路と人工的な溝の跡が見つかった。京都府埋蔵文化財調査研究センターが12日、今年度の調査結果を発表した。同所からは古墳時代前期の琴や奈良時代の斎串などが出土しており、付近の灌漑のほか水辺での祭祀も行われていたと推定される。
東西約1100㍍、南北約320㍍に及ぶ小樋尻遺跡のうち、今年4月から進めている第10・11次調査の結果を現地で説明した。調査地は、旧城陽署から西に約100㍍。
検出された古墳時代前期(3世紀後半)の自然流路は、幅約25㍍、深さ約2・7㍍の大規模なもので、内部から木製の導水施設が見つかった。
導水施設は板で水をせき止めて樋に流し、上澄みを浄水として使う祭祀目的の施設。同様な遺跡は全国で約15例見つかっており、府内では浅後谷南遺跡=京丹後市=と瓦谷遺跡=木津川市=に次いで3例目となる。
日本書紀には、仁徳天皇の時代に「大溝(おほうなで)を山背の栗隈縣(くりくまのあがた)に掘りて…」と記述がある。栗隈は現在の城陽市周辺の地名で、水田のための用水整備を行ったとみられる。

今回の調査地全景(埋文センター提供)

また、自然流路と同一の場所から、古墳時代後期に掘られ奈良時代まで使われた人工的な溝が見つかった。
溝の幅は約11㍍、深さ約1・8㍍。中心部に水の主流を形成するための溝が深めに掘られている。下層の盛土の部分に草木を敷くことで、造成土を強化し水流を安定させる「敷葉工法」という高度な土木技術が用いられたことも分かった。
溝は複数回にわたり再掘削が行われた跡があり、奈良時代の堆積層からは、祭祀に関係する木製品として斎串(いぐし)と人形(ひとがた)が出土した。
同センターは「地域の首長層によって、灌漑施設の整備をはじめとする大規模な開発が行われたことを示す貴重な資料」としている。
なお、新型コロナウイルス対策として、市民向けの現地説明会は行わず、18日(水)以降に同センターのホームページで資料を公開する予定という。