女子柔道界のパイオニア、山口香さんひも解く源流/京田辺
柔道草創期を熱弁する山口香さん

延期か、中止かと論争をめぐらせながら開催までいよいよ1カ月を切った東京オリンピックに「五輪の意義とは」などと堂々と意見を述べたJOC(日本オリンピック委員会)前・理事で柔道の第一人者として知られる山口香さんを講師に迎える男女共同参画週間フォーラム「強さは優しさ 柔道から学んだ事」が27日に京田辺市立中央公民館で開かれ、市民ら約70人が山口さん物語る女子柔道の歴史や先人の思いに耳を澄ませた。
山口香さん(56)は、世界選手権(1984年・ウィーン)で日本女子初の金メダル、ソウル五輪(88年)で銅メダルを獲得した柔道の先駆者。
指導者であると共に、現在は筑波大学教授として活躍する一方で、女子スポーツの普及と発展、スポーツ組織における女性の地位向上に取り組んでいる。
男女共同参画週間の講師に招かれたこの日、ステージに立った山口さんは、はじめに「柔道と自分がやって来たこと」「(ヤワラちゃんこと)谷亮子、(東京出場の)阿部詩ら女性選手が活躍できるようになったのは長い時間を掛けて成し遂げられたこと」の2点を伝えたいポイントに挙げた。
女子柔道の歴史をたどり、講道館柔道を開始した嘉納治五郎が成した「術から道へ。たたかうから人間教育へ。目的を換えたことで世界が認め、五輪種目にもなり、今では200カ国以上で親しまれている」と肝を指摘。
1890(明治23)年に女子高等師範学校が設置。3年後、講道館に女性初の門下生を受け入れた嘉納の先見性を称賛した。
「嘉納自身が直接女性の指導に当たり、イギリスやイタリアなどの女性も受け入れた」「食の改善など体の内側に意識を向け、健診を受けさせた」などとケアも欠かさなかった一方、「男性である自分は女性の身体は分からない」と述べたエピソードを紹介し「知ったかぶりをしなかった」実直ぶりにも触れた。
それらの根底にあっただろう「国づくりに強靭な肉体は欠かせない。女性も例外でない」「普及のため、女性の指導者育成」を並べ、それでも「試合はまだ早い。体が伴っていない」と、嘉納死没後も近年に至るまで女子の試合ができなかった状況が続いた。
やがて、1978(昭和53)年、一足飛びに全日本女子柔道選手権が開催。「女だてら」「女のくせに」と普通に言い続けた時代…、6歳で柔道を始めた山口さんが周囲を圧倒する姿を振り返り、「道場主が、特別扱いしないぞ、と受け入れてくれた。やってみたら強かったんです。私に負けてやめていった子もいる」と声を強め会場をどっと沸かせた。