希少な「前方後円墳の連続」か/京田辺・天理山古墳群で現地説明会

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宅地造成計画に伴う試掘調査で「連続した前方後円墳の可能性がある」と推定された京田辺市薪山垣外の『天理山古墳群』で10日、現地説明会が行われた。市民らは、古墳時代(3世紀中頃~7世紀頃)の前期末頃に造られた前方後円墳であるのが分かった3号墳に足を運び、熱心に調査報告に耳を傾け、出土した埴輪の欠片を凝視した。
酬恩庵一休寺の裏山にある天理山古墳群は1961(昭和36)~69(同44)年まで行った分布調査で古墳時代中~後期の円墳4基と考えられ、埋蔵文化財包蔵地に登録。
宅地造成が計画され、市は今年4月から試掘調査へ入った。
4基のうち、1・3・4号墳は測量図から前方後円墳の可能性があり、さらに形とサイズを明らかにする試掘を行った。
すると、3号墳は古墳時代前期末頃に造られた前方後円墳と判明。市内では、飯岡車塚古墳(全長87㍍)に次ぐ2番目の大きさとなる全長81㍍、後円部直径42㍍、最大高7・6㍍の、地山を削り出して造られたものと分かった。

斜面裾で基底石が、平坦部で埴輪列が見つかったくびれ部にみな興味津々

はじめに、第4調査区(くびれ部)の墳丘斜面裾で基底石を、平坦面で埴輪列を検出。円筒・朝顔形埴輪の破片が出土し、後円・前方部の境に朝顔形埴輪を配置していた様子がうかがえた。
後円部北側の第2区では墳丘斜面と平坦面を検出。平坦面の幅は約1・5㍍で、直径約15㌢の石材を用いた葺石も発見。
後円部のてっぺんに当たる西側の第3区でも斜面や平坦面、そして葺石を検出した。
下段斜面長は約4㍍あり、地山を削り出した葺石施工。
斜面裾付近の葺石の上に円筒埴輪の破片がまとまって出土し、周辺に埴輪列が存在する可能性もある。

出土した埴輪の欠片に顔を近付ける考古学ファンら

また、前方部北側の第6区では、北西部分に円筒埴輪が横倒しになった状態で出土。
埴輪は底部まで遺存し、他の調査区から出土した埴輪と特徴が異なるため「埴輪棺」の可能性があるという。

■市内に前方後円墳「群」
以上、3号墳は地山を削り出して造られた前方後円墳で、外表に葺石や埴輪列を持つもの。
平坦面にも直径15㌢の石材を用いた葺石を配置する特徴を有し、出土した埴輪から古墳時代前期末の400年頃の築造とみられる。
市内では、古墳時代前期後半~中期に掛けて多くの古墳が築かれた。
そして、南山城では2つとない「前方後円墳の複数群」の可能性を含み、市は天理山の残る1・2・4号墳のほか周辺にある古墳の調査も進め、全体での位置付けも明らかに―と展望する。
この日は感染対策を踏まえ、希望した146人を5回に分けた少人数グループで説明会を実施。
高校教員の樋口憲司さん(48)=枚方市=は「何の変哲もない山に昔の人物が眠り、発見されることにロマンを感じている。どういう人が葬られているのか。現地説明に近年よく参加するが、若い人の関心も高まっている。機運を盛り上げ、ぜひ残してほしい」と願う。
なお、天理山古墳群のある丘陵下に天理教布教所もあるが、そもそも呼び名の由来は「関係があるかどうかも含め不明」という。

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