久御山町は15日、役場の平和都市宣言記念碑前で平和祈念集会を開いた。町職員や町議、住民ら約60人が戦没者の冥福を祈り、76回目の終戦記念日に平和への決意を新たにした。
昨年に引き続き、新型コロナウイルスの影響で規模を縮小して実施。役場正面玄関前の記念碑周辺で、サイレンが響き渡る中、正午から1分間の黙とうを捧げ、信貴康孝町長が平和都市宣言文を朗読した。サイレンは、防災行政無線で町内全域に吹鳴し、住民にも黙とうを呼び掛けた。
式典で信貴町長は「戦争体験者の心には今なお忘れられない深い悲しみが刻まれている。現在も起こっているテロ行為や戦争からは、多くの悲しみと次の争いしか生まれないことを、未来を担う子供たちに語り継ぐことが私たちの責務」とし、「唯一の被爆国の国民として、一日も早く核兵器のない、争いのない平和な日々が来ることを強く望む。世界平和のためには、国籍や民族、宗教、言語の違いを乗り越えていく必要がある」と述べた。
なお役場ロビーでは、戦争の悲惨さを伝える「平和パネル展」が、19日まで開かれている。
■戦時中の久御山 松村さんが語る/遺族会研修会
平和祈念集会に先立ち、久御山町遺族会研修会が役場コンベンションホールで行われた。松村光朗さん(86)=同町佐古=が、「戦時中の久御山町」について講演。2度と戦争を繰り返してはならないと強く訴えた。
松村さんは、「京都飛行場」の建設に伴い生活道路や通学路、水(川)の流れなどが変えられたことや、神戸の上空で被弾したアメリカのB29爆撃機が同町の上空で空中分解し、パラシュートで降りてくる兵士を目撃したこと、空襲で同級生を失うという忘れることのできない悲しい経験などを語った。
終戦から76年の月日が経ち、戦争体験の記憶の風化が懸念される中、約60人の参加者が松村さんの貴重な話に耳を傾けていた。
このほか、松村さんら町郷土史会のメンバー3人が、昭和28年の水害に襲われた同町の様子を語っているDVDも上映。過去の経験を教訓とし、改めて万が一の事態について考える機会とした。