宇治市が民間活力を導入し、京阪宇治駅北西に整備した「お茶と宇治のまち歴史公園」の開園式典が21日に開かれ、約60人が完成を祝った。宇治地域の周遊観光の拠点、山城観光のゲートウェイ、さらには地域住民の憩いの場として期待。早速、芝生広場、国史跡・宇治川太閤堤跡などの屋外施設が開放されたが、中核施設の「お茶と宇治のまち交流館」(愛称・茶づな)、駐車場(73台分)は新型コロナウイルスに係る緊急事態宣言を踏まえ、来月12日までの宣言期間中、利用を休止する。
2007年9月、京阪宇治駅北西で天下人・豊臣秀吉の命令で築造された宇治川太閤堤跡が発見されたことを契機に、宇治市は新たな観光拠点の整備を構想。公民館機能の移転など紆余曲折があったが、ようやく開園の日を迎えた。
歴史公園は『史跡ゾーン』(約1・4㌶)、『交流ゾーン』(約1・1㌶)で構成され、宇治茶の魅力と宇治の歴史・文化を発信し、来園者を街中への周遊観光に誘う施設。市は設計・建設・維持管理等の大半を民間に任せるPFI事業を導入し、総事業費73億円を投じた。
史跡ゾーンには太閤堤跡の復元文化財を展示し、秀吉の壮大な護岸事業を当時のスケール感のまま再現。茶摘み体験が行える茶園などを整備した。
一方、交流ゾーンには茶づな、庭園、芝生広場を設けた。茶づなはミュージアム、レストラン、宇治茶体験室、会議室、展望デッキなどで構成され、周辺施設・店舗に誘導する仕掛けが満載。特にミュージアムに関しては日本最古の茶園の木が出迎え、11種類の茶の紹介、どのように宇治茶がブランド力を高めていったのかを知ることができる。
開園式典で松村淳子市長は「宇治の歴史、文化やお茶に関する魅力を発信する。日本茶800年の歴史散歩、宇治茶の世界文化遺産登録に向けた取り組みとの連携をはじめ、『お茶の京都』の拠点と位置づけ、宇治市のみならず、山城地域全体の地域振興も視野に入れた中心的役割を担う施設になることを目指したい」と力を込めた。
来賓からは西脇隆俊府知事、国土交通省近畿地方整備局の東川直正局長がビデオメッセージを寄せ、宇治市と一緒に地域観光・振興に寄与することを表明。堀明人市議会議長は「市民の憩いの場として、長く愛され、賑わう施設に」と、府茶業会議所の堀井長太郎会頭は「ここから宇治茶の魅力を国内外に発信したい」と期待を寄せた。
本来テープカットで開園を祝うが、宇治茶と宇治の歴史・文化を伝える公園という観点から、茶づなを茶壺に見立て「口切の儀」ならず、組み紐の封印を解く「封切りのセレモニー」を実施。松村市長、歴史公園の管理・運営を担う㈱宇治まちづくり創生ネットワークの林隆志代表取締役社長ら6人が、司会者の合図で、組み紐の結び目を解いた。
会場には久保田勇元市長、山本正前市長も招かれ、完成を喜んだ。
■初日から家族連れの姿/芝生広がり憩いの場に
歴史公園開園式典直後から地域住民らが早速訪れ、憩いの場として散策を楽しむ姿が見られた。芝生広場やベンチがあり、時間の流れもゆったり。新型コロナウイルスの感染が急拡大する中、まずは地域住民に積極的に利用してもらう。
太閤堤跡は実際に出土した遺構の真上に、GRC(ガラス繊維強化セメント)を用いて原寸大で再現。市議会で「レプリカだ」と指摘された際、当時の担当者が「復元文化財だ」と反論するほど精度の高い施設となっている。
ここでは、天下人・豊臣秀吉が取り組んだ大規模な治水事業の一端が分かるほか、当時の高い土木技術を知ることができる。石を重ねた「石積み護岸」、杭などを打ち込んだ「杭止め護岸」、そして水の勢いを抑制する施設(石出し、杭出し)で構成。この太閤堤によって砂州が形成され、茶園の適地となり、現在の『お茶のまち』の礎となった経過もあり、歴史ロマンあふれる。
実際に水がはられており、安土桃山時代の姿に思いを馳せることが可能。人工ふ化で産まれたウミウの「ウッティー」による「放ち鵜飼」の会場としても検討されている。
一方、茶づな前には芝生広場が整備され、ベンチも一定の間隔に配置され、ゆったりできる空間。近くに住む近藤一郎さん(48)は「オープンと聞いて、子供を連れて散歩がてらに寄ってみた。芝生が広がっていて、散策するには、のどかで良いところ。近くに子供の遊べる場所がなかったので、広場ができて良かった。交流館にも入りたいですね」と話していた。
このほか、修景茶園をはじめ、茶園の農機具などを収納する平屋の「覆小屋」などを整備。透明の案内板を覗けば、昔の姿が復活する仕掛けも公園内に複数箇所に設けた。