東京2020オリンピックのレスリング女子フリースタイル76㌔級で5位入賞を果たした宇治市出身の皆川博恵選手(34)に22日、スポーツ賞・栄誉賞が贈られた。松村淳子市長は「大会での活躍は市民に感動と勇気を与えた」と祝福。皆川選手は「たくさんの声援が心強かった」と感謝の言葉を口にした。
皆川選手は東宇治幼稚園、三室戸小学校、東宇治中学校、立命館宇治高校と地元で育った生粋の〝宇治っ子〟。立命館大学を卒業後、上京した25歳ぐらいまで宇治に住んでいた。
レスリングは父親の鈴木秀知氏(70)が開いていた宇治教室で幼稚園の頃に始めたが、皆川選手は「よく覚えていない。小学生の頃の記憶はある」と物心がつく前から。小学生の頃、朝の練習で興聖寺の琴坂、天ケ瀬ダム、大吉山を走っており「宇治の印象として特に残っている」と話す。
五輪とは縁がなく、同じ階級だった浜口京子選手の壁に阻まれ、リオ五輪では選考会を前に大ケガ。皆川選手は「リオ五輪に出られず、引退しようと思っていた。周囲の勧めで、国内の試合には出ていた。もうやめようと思っていたので、勝っても負けてもよく、吹っ切れた感じで、思いっきりレスリングができ、それでメンタル面が強くなった」と再び夢舞台を目指した。
夢舞台には8月1日に登場し1回戦、2回戦と順当に勝ち上がり、勝てば銀メダル以上確定という準決勝で、ドイツの選手に惜敗。気持ちを切り替えて臨んだ翌2日の3位決定戦では中国の選手と死闘を繰り広げたが、惜しくもメダルに届かなかった。
市役所での表彰式で、松村市長は「心からお祝い申し上げる。大会での活躍は市民に感動と勇気を与えた。感謝の気持ちでいっぱい」と祝福した。堀明人市議会議長は「幼・小・中・高と私と同じ経歴。市民にとっても、また各卒業生にとっても誇らしい」と絶賛。和紙の入賞の表彰状を持参し、松村市長に披露する場面もあった。
歓談の中で、皆川選手は「ピークに合わせて練習していた昨年3月に1年の延期が決まり、練習量を落とした。コロナで練習場所が確保できず、思うような練習ができなかった」とコロナに翻弄された1年半を回顧した。
試合に臨むにあたり、対戦相手のビデオを見るなど特に相手の得意技について入念にチェック。無観客開催となったが「関係者は入れたので、まったく声援がゼロというわけではなかった。セコンドの声がダイレクトに届き、心強かった」と述べた。
大会を振り返り「試合後『やっと終わった』という開放感があった。縛られた生活をしており、肉体的にもしんどかった。1カ月余りが経ち、悔しさがあり『引退します』とは言い切れない。ゆっくり考えたい」と話した。
栄誉賞の受賞を受け、皆川選手は「宇治市のスポーツ賞は小さい頃から頂いており、嬉しい。たくさん応援していただき、心強かった」と感想。幼少期からの友人からは五輪後、約100件のライン、SNSでメッセージが届いたといい、なかには皆川選手がインタビューされているところを見た友人の子供が『いつかインタビューされたい』と話し、良い刺激を与えるきっかけになったという。
レスリングの魅力について「私は運動神経がよくないけど、それでも勝てる。身長の高い、低いなど、人それぞれに合ったレスリングがあり、決まった答えがない点」と紹介。松村市長からは講演会の講師の依頼を受け、皆川選手は「話すことは得意じゃないけど、頑張りたい。実技でレスリングの魅力を伝えれば」と意気込んだ。
なお、皆川選手への栄誉賞は2度目。競技者では千葉真子さんが3度、栄誉賞を授与されている。