古老柿(ころがき)と呼ばれる宇治田原町の特産干し柿づくりが、最盛期を迎えている。
誰が考案したのか、どこから伝わってきたのか、いつから、このような方法で干し柿づくりが始まったのか…確たる文献はなく、お茶栽培と柿の木との関係も含めて本格的な研究が待たれるが、地元には「渋柿をどうしても甘くできない村人に古老柿の作り方を教えたのは、少女に姿を変えた禅定寺の十一面観音」という言い伝えも残る。
現在の方法は、まず「鶴の子」と言われる渋柿のヘタを取り、針に刺した実を機械で回転させてT字カッターで皮をむくことから始まる。
そして、2週間ほど乾燥・熟成さすのだが、この時に使われるのが丸太とロープなどで組み立て、ワラで屋根を作る柿屋。
ここ立川段橋では、JA京都やましろ同町古老柿生産部会(15会員)の部会長を務める下岡清富さんが、この道60年以上という父・久五郎さんらと3日がかりで、町内最大規模の柿屋を建てる。
まるで鳶職(とびしょく)のような作業で、高所恐怖症の人なら、見ているだけで背筋が凍る。
ここは腰の高さ、そこは肩の高さ…というように、これまでの経験と感覚で組み立てていき、その規模は5段の棚で、最上部は10㍍以上。幅は6間で約18㍍にもなる。
奥行き約2・7㍍の棚に皮をむいた実を並べていくと、一面が夕陽のような柿色に染まっていく。
そして、乾燥させた柿は、ワラの上に並べて、箕(み)と呼ばれる竹ザルや柿もみ機で躍らせるように振り、表面に白い粉がふくと、上品な甘さが口の中に広がる古老柿の出来上がりとなる。=写真=
今年も30万個余りを仕上げるといい、18℃以下で木枯らしが吹く日…地元の挨拶言葉に出てくる「古老柿日和・ころがきびより」が続くことを願っている。
同町が発祥の地である日本緑茶との相性は抜群で、その味わいが深みを増すほか、お酒を飲む前に食べると二日酔いを抑える効果もあるという。
正月「事始め」の13日に合わせ、12日にはJA京都やましろ宇治田原町支店から、京都中央市場に向けて、初荷が出る。