室町幕府3代将軍・足利義満が宇治の地に作ったとされ、後世に「宇治七茗園」として名を馳せた7つの茶園。一般財団法人・宇治市文化財愛護協会(吉水利明会長)は行方知れずの『宇文字園跡』の石碑、解説版を製作し、市に貸与した。
宇治七茗園は、和歌にも「森、祝井、宇文字、川下、奥の山、朝日に続く琵琶とこそ知れ」と詠まれた名園だが、現存するのは奥の山園(宇治善法)のみ。昭和初期には、宇治町(当時)が各茶園の跡地に石碑を整備し、その名声を広く伝えた。
しかし、JR宇治駅の南側にあった宇治警察署の前に設置されていた「宇文字園」の石碑は同署の移転に際して消失した。「祝園」の石碑も、同駅の北西付近にあったと言われているが、マンション開発に伴って所在不明に。「森園」の石碑は近年まで宇治若森の民有地にあったが、行政の怠慢によって除却されてしまった。
心を痛めた市文化財愛護協会が石碑の再建立を決め、昨年度に「森園」が復活した。今回の「宇文字園」に続き、来年度に「祝園」を制作する予定。いずれも貸与を受けた市が、公有地を中心に設置場所を決め、対応している。
宇文字園の石碑は花崗岩製の四角柱(高さ120㌢、1面あたり幅約15㌢)で、正面には『宇文字園跡 宇治七名園之一』と記載。同駅南側の駐輪場前の植え込み内に設置された。