宇治田原町の秋を彩る「田原三社祭」の還幸祭が13日に営まれ、神事芸能と神輿(みこし)巡行が祭りのクライマックスを飾った。
この祭りは、平安時代に武家の棟梁として多くの家系を輩出し、近江三上山を八巻きした大百足(オオムカデ)退治の伝説でも有名な藤原藤太秀郷(ふじわらのとうたひでさと)が、今から1084年前の天慶3年に平将門軍を滅ぼし、その褒美として、田原郷の領主となった際、村の平和を守るために神輿を担ぎ出したことが起源。
それ以来、祭りが大好きな田原の男衆が、法被に身を包み、大切な神輿を無事に御旅所まで運び、神社まで戻すことが使命になった。
旧田原郷内にある御栗栖神社(一ノ宮)、大宮神社、三宮(三ノ宮)神社合同による厳粛な祭礼となり、コロナ禍での「居祭り」を経て、昨秋4年ぶりに「出祭り」復活。
「ソラヨイヨイヨイ」という威勢の良い掛け声とともに巡行する10日の神幸祭で幕を開け、12日の夕刻からは、御旅所に金魚すくい、輪投げ、当てもんなどの夜店が並び、溢れんばかりの人出で賑わった。
そして迎えた還幸祭。京都府の無形文化財に指定されている神事「せいのう舞」「王の舞」「獅子舞」「田楽」が奉納され、午前11時すぎから駆け馬。郷之口の御旅所前沿道で大勢の人々が熱視線を注ぐ中、2頭の神馬が颯爽と風を切った。
午後1時ごろには、この神馬に乗った上田德藏さんと山本一颯さんが3基の神輿を先導して御旅所を出発。担ぎ手の若衆が威勢よく地域を練り歩き、郷之口会館付近に集結すると、そこから各神社へと帰還した。