五重塔跡の姿明らかに/井手・栢ノ木遺跡(井手寺跡)
良好な状態で残っている乱席積の階段

奈良時代中ごろに政権の中枢を担った橘氏の氏寺として創建され、平安時代にかけて存続した「井手寺」の五重塔跡が、井手町新庁舎建設予定地で発見された件で、調査を進めている(公財)京都府埋蔵文化財調査研究センターは14日、報道向けに現地説明を行った。同跡は、国指定史跡級の文化財であることが分かった。17日(土)午前9時~正午、町民向けに現地公開される。一般向けの公開は、同日正午~午後4時。
調査名は場所(井手町井手栢ノ木=かやのき)を基にした「栢ノ木遺跡・第13次調査」。
これまでの調査で井手寺跡は同地域に241・2㍍四方の寺域を有していたことが分かっているが、塔や金堂など主要伽藍の配置は分かっていなかった。
今回見つかった塔跡は既知の寺域の東限から約50メートル東へ離れている。他の主要伽藍と別の区画を設け、「塔院」を形作っていたと推定される。基壇(周囲より高くした建物の土壇)は約15㍍四方のほぼ正方形で、残存高は70㌢、北辺と西辺に階段が見つかった。規模からみて、五重塔と考えてよいという。
地方寺院で塔院が造られるのは稀な事例といい、同センターは「当時の橘氏の権勢を示す国家規模の一大事業だったと考えられ、古代における地方寺院の実像を明らかにする重要な成果」と評した。

井手寺柱跡の碑は五重塔跡の西約200㍍にある

出土した瓦から奈良時代後半から平安時代前期に建立されたと考えられ、平安時代中期には修理が行われたようだ。石材や出土遺物に熱が加えられた痕跡がないことから、火災ではなく老朽化して自然に崩壊し、大量の瓦を残して放置されたまま、鎌倉時代に荒廃したと考えられる。それだけに、「乱石積」と呼ばれる工法が用いられた階段の状態は「日本で一番残りがいい」と話す識者もあるという。発掘を担当した調査課の福山博章主任によると、今回見つかった塔跡は、文化財として国指定史跡級の価値があるという。
上原真人京都大学名誉教授(井手寺跡調査委員長)は本紙の取材に、「使われている瓦に(奈良の)都と同じ奈良三彩があり、別院の形をなしている。塔を中心とした区画があるのは、奈良の大安寺くらい。あちらは七重塔なので匹敵するとまで言えないが、都にモデルがある形で寺を造っている。橘氏の勢力がどれくらいのものか、どのように変遷したかが具体的に分かった」とコメントした。
17日は密を避けるために説明はなく、公開のみ行われる。駐車場はない。

排水路である「雨落ち溝」を指す福山博章主任