
2013(平成25)年9月から3期12年間、城陽市長を務めた奥田敏晴氏(80)が24日、任期満了を迎え、通い慣れた市役所を後にした。「人口減少」と「城陽谷間論」を優先すべき行政課題に掲げ、1期目の初登庁してから12年の歳月が経過。新名神高速道路の工事が進捗するにつれ、府内初のアウトレットや次世代の自動運転にも対応する基幹物流施設の誘致、寺田西地域の古川改修など府議時代に培った国や京都府とのパイプを発揮し、近隣自治体からうらやましがられるまちへの道筋をつけ、後継者である村田正明・新市長へバトンを渡す。
奥田市長は、大阪市立大学大学院修士修了し、学習塾の塾長や幼稚園長を経て、自民党府議を4期14年余り歴任。その後、無所属の立場となり、12年前の城陽市長選で、当時の現職らを破って初当選。任期中には、府市長会長も歴任した。
思い起こせば、1期目初登庁の際、「人口減少」と「城陽谷間論」を最優先課題に掲げ、庁内では、市民の安心・安全を守るべく『防災』、そして正確な情報を市民に伝えるため『広報』の充実に力を注ぐことを表明。
市長としての第一声は「市民の皆様に受けた恩は、倍返しするようしっかり頑張っていく」との決意。当時は、現職候補を破っての初当選だったため、初の庁議では幹部職員らに「このたびの市長選では、いろいろな事情で、候補者(前市長)を支援されたと思う」と述べ、「それも今日限り、過去の出来事としてノーサイドにしたい。奥田のためではない、市民のためにしっかり仕事をすることを肝に銘じてほしい」と訓示したことが思い出される。
市民がすべてが笑顔になる…希望に満ちたまち『NEW城陽』を旗印に、高度経済成長期の人口急増に続く、まち発展の〝第2弾ロケット〟を打ち上げるべく、新名神を起爆剤とした新しいまちづくりを牽引。一部市民から文パル『セール&リースバック』による財源確保策や「市役所内部に甘い」との指摘も聞かれたが、それらにも温和に対応し、3期12年のゴールテープを切る日を迎えた。
24日午後5時20分から市役所ロビーで開かれた退任式には、奥田市政を支援した市民や職員、市議ら約200人が参集した。
まず、副市長不在のため、市教委の薮内孝次教育長が「NEW城陽の実現に向け、寝食を忘れて取り組まれ、功績は枚挙に暇がありません。私たち職員も、笑顔が輝き活気にあふれ、夢や希望が城陽市の明るい未来につながるよう、市長とともに歩んでまいりました。蒔かれた種は、今まさに芽吹き、大きく躍動しています。その歩みをしっかりと受け継ぎ、さらに力強く進めてまいります」と職員を代表してお礼の言葉。続いて、乾秀子市議会議長も「市民サービスの拡充や教育環境の改善に努められたことに心より感謝申し上げます。コロナ禍に見舞われた数年間、市民生活を守るためにお力を尽くされたことが印象に残っています。これからは、一人の市民として公私ともに助言を賜れれば、幸いです」と惜別の思いを伝えた。
奥田市長は「ベッドタウンだけでは限界がある…と、今までの政策を生かしつつ、新たな展開『NEW城陽』を進めてきたが、決して私だけの力でなく、市民の協力や職員が日々、職務に邁進してくれたおかげ。今では、周辺自治体からお褒めの言葉もいただいている。私が言い続けてきたことは、『和を以て貴しとなす』と、『至誠』何事にも真心を持って取り組むこと。そして、光るものはすべて黄金でないが『笑顔』はいつも黄金であるということ。あすから村田新市政が誕生します。どうか、皆さんご支援をお願いします」と挨拶。病気療養中の妻に代わり、長男、長女もお礼の挨拶に立ち、奥田市長は万感胸に込み上げてくる迫る思いを抑えながら、大拍手に送られて庁舎を後にした。
