くっきりと山口城址、説明板を新装/宇治田原町商工会
新装された山口城址の説明板…後方には新名神の建設現場があり時代の流れを感じる

宇治田原町郷之口田中にある山口城址(やまぐちじょうあと)の説明板がリニューアルされた。
1993年2月に町商工会が設置して以来、長年の雨風で塗装がはげ、一部腐食していたもので、このほど修復が完了した。
また、説明文に関しても、宇治田原の歴史を語る会の茨木輝樹代表に調査を依頼。その後の文献等により判明した史実に沿って修正した。
山口城は織田信長の命で山口甚助秀康が築いた城。
郷侍を集めて屋敷を構え、本町を士分、裏町を民家として城を守る城下町を形成したとされる。
本能寺の変を知った徳川家康の逃避行を助けた城としても知られるが、山口氏は関ヶ原の戦いで滅び、廃城となった。
この説明板の立つ城址の東には、山口氏の菩提寺である極楽寺があり、その山門は城の裏門であった。
境内の石灯籠1基も城のものと伝えられており、城址の北側は「城の川」といわれる堀。近年、石垣の巨石が発掘されている。
読みにくかった説明文も「くっきり」見やすくなり、山口城址も「くっきり」と浮かんでくる。
城址の西側では新名神高速道路の建設工事が進められており、時代の流れも「くっきり」と感じ取れる。