「放ち鵜飼」初の一般公開/宇治
大きく羽ばたけウッティー、とばかり勢いよく魚のもとへと飛び立った

公益社団法人宇治市観光協会(中村藤吉会長)が運営する「宇治川の鵜飼」のうち、鵜匠と鵜をつなぐ追い綱を使わない「放ち鵜飼」が22日に初めて一般公開され、ウッティーの捕獲シーンを目の当たりにした親子連れなどは胸の鼓動を高鳴らせた。
鵜と鵜匠をつなぐ約4㍍の綱なしに、鵜が自由に水辺で魚をとらえ、その鵜を鵜匠が呼び寄せる漁法。
国内では2001年まで島根県益田市高津川で行われたあと、途絶。
14年、国内外で初めて飼いならされたウミウのペアが産卵し、沢木万理子鵜匠らが力を尽くして人工ふ化に至ったヒナは「ウッティー」を命名され、今では12羽がすくすくと元気に育つ。
親代わりの沢木さんらとフィジカル・メンタルともに生後から密着、世話してもらったウッティーたちだからこそ、可能となる新たなチャレンジが、いよいよ日の目を見た。
この日は、同協会主催「放ち鵜飼&宇治の魅力体験ツアー」初日の萬福寺普茶料理コースの一環。
会場の茶づな(お茶と宇治のまち歴史公園)=菟道丸山=では、はじめに沢木鵜匠が約30人の参加者に講演し、1926(大正15)年に復活した「宇治川の鵜飼」とウッティーの軌跡をたどった。
「夏は鵜飼、秋冬は鷹匠になりたい」と夢、憧れも伝え、「自宅で(愛玩鳥の)ヨウムを飼っている。晩酌には焼き鳥とビール」と笑いを誘い、緊張を解きほぐした。
史跡太閤堤跡の底が見通せる池に移り、江崎洋子鵜匠、この日がデビューとなる鈴木奈緒美鵜匠、女性鵜匠たちを見守り続ける松坂善勝鵜匠も舟上、参加者たちに帽子を脱いで挨拶。
江崎鵜匠が進行し、沢木鵜匠は黄色タグを付けた8歳になる初代を、鈴木鵜匠は黒色タグの19年生まれで初代の子を籠から取り出して高く掲げたあと、いざ「親子共演」水の中へ颯爽、飛び立った。
今年生まれのウッティーは松坂鵜匠のもとで見学し、先輩ウッティーたちは気持ちよさそうにバシャバシャ、勢いもよく水しぶきを上げ、ハス、アユといったいきのよい魚をとらえ喉元に貯え、掛け声に従い鵜匠のもとへ。
「はかせますよ」の声とともに、明るい日差しに鱗がキラキラと輝くピチピチとした魚体が地上で跳ねた。
11月12日(土)お茶の淹れ方体験、13日(日)世界遺産巡りの各コースは若干の参加枠がある。
いずれも放ち鵜飼を組み込み、早くに観覧できるチャンス。
申し込みは観光協会ホームページ(https://www.kyoto-uji-kankou.or.jp/)まで。