【中川宗孝(環境生物研究会・城陽環境パートナーシップ会議)】
コロナの猛威に振り回されたこの3年間、ナチュラリストの趣味を超えた生き甲斐となっているミュージアム巡りでは、年に2・3度は訪れていた国立科学博物館へ赴く機会もなく、特別展・企画展の皆勤賞とガイドブックの購入が途絶えたことは寂しい限りでした。それでも、関西の近場や四国に名古屋圏の博物館や動物園・水族館、美術館に地方の資料館まで、今年だけでも30館を上回っていたことはライフワークの充実と納得の結果でした。
かたやフィールド活動の生き物探査では、所属学会の大会や各種環境イベントの中止で研究成果の発表の場が失われたことで調査目標も見えず、また学術貢献の大義名分のスッポン漁も、岐阜大学での飼育繁殖実験の中止と我が家名物・自然の恵みの会の懇親会も開催できない状況とあっては木津川川漁師の出番もありませんでした。こうした負の連鎖で、希少野生生物と生息環境保全の啓蒙活動も限定され、本来ポジティブ思考のナチュラリストも、その本分を活かせない不完全燃焼の生活にはほとほと参りました。
そんな中で開催された数少ない各種イベントとナチュラリスト仲間との交流は、かろうじてモチベーションを保って更なる活動への期待を抱かせる薬となりました。およそらしからぬインドア生活の中で、過去40余年間の資料を見返す機会ともなって、新年度に向けての所属学会での研究発表を目標に新たなフィールドの課題もおぼろげながらも浮かぶまでになりました。
活動母体の「城陽環境パートナーシップ会議」において、自然観察会や研修会などのイベントの開催と「城陽市生き物ハンドブック」に続く昆虫編やキノコ編などのガイドブックの刊行は、環境保護団体として『環境先進都市宣言!』の城陽市の片翼を担う胸を張れる活動成果と自負しています。市役所環境課事務局とそれぞれの専門分野に長けた運営委員の他、鳥類・哺乳類から淡水魚に昆虫、植物など生物全般にわたっての頼もしいアドバイザーの先生方の協力を得て、郷土の自然財産を次代に引き継ぐ活動に携わっていることを誇りに思い決意も新たにしている年の瀬です。
コロナ鬱から復活のナチュラリストが、過去の自分から元気をもらって、寒風の中でバードウォッチングを楽しんでいます。鳥人ナチュラリストゆかりの、鳥と人のエピソードを聞いて下さい。
◎遠い思い出日記から
2シーズンぶりにコウノトリ・ひかりちゃんの飛来を待ち望む筆者、春先から鳥仲間たちにコウノトリの子育てを観察に行こう!と声をかけるものの機会を逸し、今年も巣立った若鳥たちの元気な姿が報じられ、鳥友からの最新写真も届くや、兵庫県豊岡市の「コウノトリの郷公園」へ駆け付け、古来より瑞祥の福鳥と崇められてきた野生絶滅から復活を遂げた縁起鳥にコロナ終焉の祈願をしてきました。(写真➀②)
かの地は1995年に「日本鳥類標識協会大会」が開催された所で、野鳥に環境省の標識足環を装着し、渡りのルートや寿命・つがい構成など保護に不可欠な生態解明の研究に携わる学術会議で、筆者は後に山階鳥類研究所でも採用された野鳥の繁殖に影響なく安全に捕獲できる罠を考案してビデオ映像と共に発表した懐かしい思い出がよみがえります。当時は野生復帰など夢物語と思われたケージ内のコウノトリの子孫たちを、四半世紀を経て野外観察できたことは至上の歓びです。研究発表の配布資料(写真③)のイラスト・コアジサシは、野鳥画家の箕輪義隆さんから提供いただいたもので、大会のシンボル鳥として描かれたコウノトリの原画(写真④)もいただき今や我が家の家宝となっています。
自慢の愛弟子・脇坂英弥君もケリの調査報告で登壇し、学会最年少の21歳で研究発表デビューを果たしています。(写真⑤) その続編エピソードが、兵庫県立大学大学院で博士号を授与された指導教官の江崎保男・日本鳥学会元会長が、「コウノトリの郷公園」の園長でもある巡り合わせの妙です。また、県立大学教授でコウノトリの郷公園の研究部長・大迫義人さんとは、「日本動物植物専門学院」で共に脇坂君を指導した研究者仲間で、木津川河川敷の調査の折に希少種のジネズミを発見され、「城陽生き物ハンドブック」に唯一の確認記録として掲載しています。その写真も、兵庫県立大学の「人と自然の博物館」の標本によるものでした。(写真⑥)
また、今年も城陽環境PS会議が「キノコ編」を刊行した生き物ガイドブックでも、コウノトリの郷公園を訪れた上野きよ子さん(写真⑦左)が植物にも造詣が深く、コウノトリ文化館の菅村定昌・副館長さん(同右)から特別に進呈された「豊岡盆地の絶滅危惧種・植物2006年版」を参考にして作成した経緯がありました。(写真⑧) こうした浅からぬ縁がある福鳥のコウノトリと、ふるさと城陽で再会できることを心待ちにしています。
前回に紹介した宇治川のコウライアイサと滋賀県のカナダヅルは、コウノトリと同じく国際的な希少鳥類であることに変わりはありませんが、日本には稀に飛来する迷鳥で絶対数で大きな隔たりがあります。そしてやはり極まれな大珍鳥の情報、ヘラサギとクロツラヘラサギ(写真⑨山中十郎氏撮影)飛来の記録も11月半ばに飛び込んできました。
こうした野鳥情報も、マナーの悪い一部の野鳥カメラマンのせいで巣の放棄や地元農家とのトラブルなどの問題があり、公開されないことも少なくありません。情報公開による多くの人たちの目で広範囲に散策するのが合理的でしょうが、撮影や観察の影響を危ぐし、京都府と滋賀県のレッドデータブック執筆の関係者と内輪の調査仲間にだけ報告を入れて、筆者も3度ばかり現地に散策に赴きましたが以後の発見には至りませんでした。
そしてそんなクロツラヘラサギにも、忘れられない思い出が詰まっています。北朝鮮の徳島(トクソン)でのみ繁殖が確認されているクロツラヘラサギは、世界でも僅か200羽といわれていた国際希少鳥類で、研究者のチョン・ジョンヨル朝鮮大学校教授が標識した個体が九州で発見されたことから大きな話題となり、NHKの科学番組でも取り上げられていました。
かつて、ツルの渡り調査のプロジェクトで、日本と共にロシアと中国に台湾、韓国と北朝鮮が同じテーブルについて協議したことがありました。当時でも考えられなかった対立国との国際協力の実現は、野鳥保護は国際情勢に優る重要課題と認められた証と喜びました。そんな北朝鮮の代表のチョン・ジョンヨル先生を紹介され、立場を超えた交流が始まり、京都に講演に来られた際には日程を延長して我が家に泊られ酌み交わしたことなど、今にして信じられない出来事でした。
そして、いつか一緒にクロツラヘラサギの調査に行けたらいいね。とのお誘いの言葉が励みとなっていた鳥人ナチュラリストに、拉致問題発覚という政治的な壁にはばまれついぞ夢が叶うことはありませんでした。リアルタイムの活動報告を差しおいて、鳥人ナチュラリストの歴史の一頁を刻む機会となりました。引き続きの報告にご期待下さい。