「役場の歴史」を新庁舎に/宇治田原
整備が完了し、西谷町長(左)と山下副町長が石柱に手を添え新たな歴史に思いを馳せた

宇治田原町の旧「役場」の歴史を見届けた「黒松」と「宇治石」、そして「銘板」が、現在の「新庁舎」に移設された。
町民にとって「役場」という呼び名は、今も荒木西出の跡地を指すのではないだろうか。
町制施行3年後の1959年11月竣工の旧役場庁舎は、2020年7月まで、60年以上にわたり、まちのシンボルとして親しまれたが、昨年の春に解体されて更地となっている。
跡地については、地域の活性化や周辺環境に配慮した事業計画が望まれることから、土地利用案を提示してもらう公募型プロポーザル方式で売却先を決めようとしていたが、今年1月段階では申し込む参加者がおらず、新たなアプローチの方法を探っている。
土地の面積は2138・56平方㍍で地目は宅地。当初、売却最低価格は4920万円に設定されており、駐車場として借地利用していた隣接民有地483・31平方㍍についても一括活用するように…との条件を付けていた。
さらに正面入口の両脇に配置されていた「庭園」については樹木、植栽、残置物なども売却物件に含み、買受者に無償で譲渡する…とされていたが、この点について町議会から一つの「お願い」が出ていた。
建物と一体となっていた庭園の一部を新庁舎に移し、役場の「面影」として残してほしい…という要望だった。
中でも樹齢80年以上という「黒松」は手入れをしてきた歴代造園業者の思い入れも強く、大きいものから小さいものまで計15個配置されているのは「宇治石」。
この石は海底火山で形づくられたもので、天ヶ瀬ダムの上流で採掘され、茶臼や灯籠にも使われていたが、ダム建設で鳳凰湖の底に沈んでしまった幻の銘石だ。
このほか、「カイヅカイブキ」や「シダレザクラ」も手入れが行き届いているが、町では黒松と宇治石の一部を移す方向で調整に入り、先週24日に移植が始まった。

黒松の移設作業

長年にわたり、黒松の剪定、養生に努めてきた町内の造園業者が共同で作業にあたり、黒松を掘り起こすと、大小3個の宇治石を選び、トラックへと積み込んだ。
移設された場所は、新庁舎の北西角にあたる緑地帯。
旧庁舎に掲げられていた「宇治田原町役場」という銘板も、新たな石柱に埋め込んで設置した。
27日には整備が完了。この「面影の地」に西谷信夫町長と山下康之副町長が足を運び、石柱に手を添えながら、「新都市創造ゾーン」から始まる新たな歴史に思いを馳せた。