=弟子入り志願エピソード1・鉄道編=
【中川宗孝(環境生物研究会・城陽環境パートナーシップ会議)】
ナチュラリストが人生の師と仰ぐムツゴロウこと畑正憲先生のご逝去から七七日・49日の忌が明けました。
訃報が届いた4月6日、前日に心筋梗塞を発症され87歳の天寿を全うされた大恩ある師をお見送りすべく、妻・敦子とご夫妻からお名前をいただいき名付け親となっていただいた二人の息子たち正純・速志共々告別式に参加への心づもりをしていました。個人的にもお伺いをたてたものの、先生の意向もあって通夜や葬儀は行わず純子奥様ら近親者でお見送りされ、後日都内でお別れ会を予定とのことでした。まだ日時や場所は発表されていませんが、想いを同じくする人たちと一緒に笑顔でお見送りしたいと願っている昨今です。
この間、ムツゴロウ先生の思い出に重なる追悼番組にあらためて偉大な師の下で青春時代の一時期を過ごせた幸せを実感し、自身も古希を迎えてナチュラリストとしてのフィールド成果の恩返し報告もこれからは届けられない寂しさにさいなまれていました。信仰心には乏しいナチュラリストも、2010年に母を看取ったのを機に母が信じる経を唱えて縁ある故人の追善供養をも続けることでムツゴロウ先生ご夫妻の長寿・健康を日々祈願して参りましたが、この日からはご冥福をお祈りし、残された時間をムツゴロウイズムの実践でお応えすべく自身へのエールとしています。
多くの人たちから筆者のもとにムツゴロウ先生ご逝去を悼むメッセージをいただき、卒寿を過ぎた城陽中学校時代の恩師・宮本英男先生からは『ムツゴロウさんが亡くなって落ち込んでないか心配していたぞ。』との励ましを受け、久しくの友人や幼なじみたちとの懇親の場をもつ機会ともあいなって気持ちの上でも救われました。弟子をとらないことで知られたムツゴロウ先生が、何の取柄もない筆者を「動物王国」に迎え入れてくださったいきさつや得難い体験の数々、そして結婚を機にふるさとにUターンの選択など、北海道の学生時代を知る友人との宴の席の鉄板ネタトークも半世紀が経とうとしています。
郷土の希少野生生物と生息環境保全を掲げ、「城陽環境パートナーシップ会議」を活動母体に啓蒙活動に奔走するローカルナチュラリストの本分は、学生時代に出会った一冊の本「われら動物みな兄弟」に始まる「天然記念物の動物たち」、「ムツゴロウの博物誌」など畑正憲先生の著書に感銘を受けて自然保護に目覚め、声を上げ、自ら活動することに始まる自己啓発のエンドレスなライフワークであることを学びました。札幌大学で自然保護のサークルを立ち上げ、身近な「カムバック・サーモン」の活動支援から、共に縦貫道路建設企画を阻止することができた北海道大雪山系と、沖縄西表島の自然環境保全の活動に参加して成果を得られたことは大変な自信となりました。
こうした活動も少しはムツゴロウ先生へのアピールとなったとは思っていますが、『また君か…』のしつこいおっかけ学生に、初めて笑顔で讃えていただいたのが鉄道マニアでもある筆者の日本記録の樹立報告が第一のポイントでした。そしてほどなく嬉しい出来事が、札幌の丘珠空港での時間待ちのランチの折、『君に10億円を与えたら何に使う?』と尋ねられました。もちろん即答し、熱っぽく想いを語る筆者にムツゴロウ先生はニヤリとして『ナンバー2かな。』に続いて、これまで2000人からの若者に同じ質問をしてきたと聞いて舞い上がりました。
この二つ目のアピールとなったエピソードが高山植物保護への想いで、人生の師と仰ぐムツゴロウ先生に続くエピローグには高校時代の理科部の顧問に大学での指導教官の植物との関わりもありました。ムツゴロウ先生との思い出が、あらためて縁ある先生方を偲ぶ機会ともなって「府立植物園」に「咲くやこの花館」に足を運んで高山植物と再会してきました。
これまでにもムツゴロウ先生の恩恵を受けての報道も多々あり、四半世紀にわたる新春号「ナチュラリストからの年賀状」では、干支にまつわるエピソードなどで恩返し報告を続けてきました。公人であるムツゴロウ先生の名を汚すことのないよう心がけ、自身の体験や想いを綴ってきましたが、今回、先生に認めてもらいたい一心で日本記録に名前を刻むことにチャレンジし、現在に至るナチュラリストとしての原点となったお言葉を紹介しています。
鉄道マニアでもあるナチュラリストが打ち立てた日本記録の裏には、ムツゴロウ先生の存在が大きかったことを記す機会とすることで、おこがましい追悼文も軽い自慢話に転換して遺影に報告できるというものです。半世紀を経た時刻表とサイン本を取り出し、畑正憲先生を偲んでいます。ご覧ください。
旧国鉄時代の北海道広尾駅から九州鹿児島の枕崎駅まで、全12452.6kmを38日間かけて鈍行列車を乗り継いで踏破した「ひと筆」と称される日本最長一枚切符の旅の記録です。1973年10月号の時刻表[写真①]に路線経路と切符[写真②]、地元京都新聞でも報じられたマスコミ報道[写真③]など生涯の宝となった記録も、ムツゴロウ先生との出会いの賜物と感謝しています。青春のバイブルとなった「われら動物みな兄弟」に、1975年のサイン本や記念撮影の写真が、ロートルナチュラリストに元気を与えてくれています。[④⑤⑥] 合掌。