【中川宗孝(環境生物研究会・城陽環境パートナーシップ会議)】

今年は既に京都にも侵入しているかもしれないクビアカツヤカミキリの調査を最優先に始動しました。ライフワークとする郷土の希少野生生物の生息状況の把握と保護に役立つ資料作成を目的としたフィールド探査を続けて40余年、ナチュラリストの自慢の記録ももはや新たな発見も期待できない状況下での外来生物をターゲットにした摘発調査への移行です。

コロナ禍で社会全体が停滞し、研究発表の場を奪われ、啓蒙活動の機会も激減したナチュラリスにとってはモチベーションを保つのにやっとといったところでした。相変わらず口は元気でしたが、懇親会も開催できずに需要が無くなったスッポン漁も皆無でフィールドからも足が遠のいていました。そんな折に関東で桜に被害を与えるクビアカツヤカミキリの特集が放映され、危険な侵略的外来生物の存在を知ることとなりました。そして昨年、京都府と隣接する奈良県や大阪府でも確認され、桜と共に城陽市の特産である梅や桃にも壊滅的な打撃を与えるとあってはとても対岸の火事ではいられません。

こうして京都府で開催されたクビアカツヤカミキリの講習会に参加し、被害著しい高槻市への視察も経て、ナチュラリスト仲間と共に地元において最前線での調査で「確認できず」の成果の無い記録にも自身で納得のいくものでした。(写真①②) そして新たに京都市と向日市、福知山市でも確認され、再び開催された講習会で侵入発見後の防護法の実習を学びましたが、薬剤投与(写真③)や防護ネット張り(写真④)は労力と共に経費もかさむ大変な作業で、来期に向けて先行き不安な想いのクビアカツヤカミキリのシーズン終了でした。

活動母体の「城陽環境パートナーシップ会議」では、今年度は外来生物にスポットを当て、京都環境フェスティバルに城陽さんさんフェスタ、環境ふれあいフェスタなどのイベントに、UJIあさぎりフェスティバルの講演会やサイエンス講座、社会人講師として赴く小学校の環境教育などでも当会製作のパネル資料は大変役立ちました。来たる11月30日の「第23回城陽市環境フォーラム」で城陽生き物ガイドブックのシリーズ第6弾・外来生物編の完成披露で最新情報を公開致します。

今回、ガイドブックに掲載32種類の外来生物選定から外した外来魚の元祖・タイリクバラタナゴの報告から、移入生物による被害の中でもDNA汚染と呼ばれる交雑による雑種化の問題を考え、絶滅の危機にある希少野生生物の保護にあらためて外来生物の駆除の必要性を訴える機会としています。これらに関する生き物たちの記載と共に、今回もトピックス写真解説でお届けする報告にお付き合い下さい。

◎外来生物概要

タイリクバラタナゴ(写真⑤)の侵入経路は、1942年に中国から食用に輸入されたハクレンの種苗に混入したとされ、観賞魚として全国に拡がりました。城陽市では昔からキンタと呼ばれる体が扁平できれいな魚がいました。それがニッポンバラタナゴ(写真⑥)で、タイリクバラタナゴとは見分けがつかないほどの近縁種です。昭和30年代後半にはタイリクバラタナゴが定着し、ニッポンバラタナゴが見られなくなったとする根拠には、筆者の幼少期からの原体験に、「木津川最後の川漁師逝く」と報じられた父・中川朝清(写真⑦左)から聞いた貴重な数々の記録によるものです。

近くの御旅川と呼ばれる小川と田んぼの水路で、ジャコ捕りと称してメダカやドジョウ、キンタに小ブナ、時にナマズの仔を捕獲して歓喜していた少年期、「毒流し」と呼ばれる漁獲法も行われていたことを知る人はどれだけいるでしょう。毒で弱って浮いてきた小魚を、バケツを持った人たちが競い合って採っていました。子供心にも、食べても大丈夫か疑問に思ったものです。そんな時代、ひときわきれいなキンタが捕れるようになったのは小学校3・4年生の頃でした。『それがタイリクバラタナゴで、小キンタとはここが違う。』と親父に教えられた背びれの紋や胸ビレの白色は現在も判別に用いる特徴であり、今にしてさすがだと感心しています。ただその時はタイリクバラタナゴと呼んでいたかは定かではないのですが、小キンタのニッポンバラタナゴに対して、木津川には大キンタもいると聞き、それがカネヒラであることも後年になって判りました。

そして小学校5年生の時にメダカ採集の課題があり、この時ばかりは独り舞台で我がチームは大漁でしたが、何十匹と捕れたキンタは全部斑のあるきれいなタイリクバラタナゴでした。昭和38年7月のことで、本命のメダカは数えるほどしか捕れず、高度経済成長時代の公害ニッポンへの予兆を物語るものでした。そしてほどなく小川のジャコ捕りも農薬のせいで禁止され、木津川が魚捕りと遊泳のメインとなった中学生の夏、「木津川水泳場」が水質汚染を理由に閉鎖されました。近鉄鉄橋南詰に夏の間だけ臨時駅ができて、多くの人たちで賑わった水泳場。小学校にプールも無かった時代に、水泳の授業で訪れた人たちも今や古希を迎える昭和40年のことでした。

そんな背景もあり、ニッポンバラタナゴからタイリクバラタナゴへの推移の目撃者としての自覚から、魚や生き物への興味を一層かきたてられました。初代川漁師の父親からは、タイワンドジョウやタウナギの外来魚の情報と共に、昔はタイやスズキにボラからヤツメウナギも捕れたと聞き、全長1間を超える今でいう2mもの大鯉や畳半畳もある大スッポンの言い伝えもあると聞いては胸を躍らせたものでした。そんな想いが長じてもフィールドの夢を追いかけ、天然記念物の淡水魚・イタセンパラの発見や半世紀ぶりのボラ(写真⑧手前)の遡上の確認に、2010年当時日本最大の大スッポンを引き揚げた親父との思い出に重なっています。以下次号に

〇カダヤシ(写真⑨) Aa被害甚大種 全長3~5cm
蚊絶やしに由来するボウフラ駆除を目的に大正時代に移入された北米原産のカダヤシは、生息域が重なる在来種のメダカを駆逐して絶滅危惧種へと追いやったとされてきました。水質汚染に弱い卵生のメダカに対して、卵胎生で適応能力が高いカダヤシが分布を拡げた両者は、公害ニッポンの教訓から復活を遂げたメダカとの棲み分けも見られるようになりました。移入種のカダヤシは駆除が原則ですが、在来種のメダカでもDNA汚染と呼ばれる飼育個体の放流による雑種化が危惧されています。

△カムルチー(写真⑩) Bb要注目種 全長35~80cm
雷魚の仲間には、大正時代に朝鮮半島から奈良県に移入されたカムルチーと、それ以前に台湾から大阪府に移入されたタイワンドジョウの記録が残っていますが、昔から木津川産の雷魚を「タイワンドジョウ」と呼んでいたのはカムルチーの誤りです。大阪府のタイワンドジョウは生息地の拡がりがみられず、現在は雷魚といえばカムルチーを表します。食用目的の他、観賞魚や釣りの対象として各地に拡がりましたが、鋭い歯を持ち水鳥さえ捕食する大型肉食魚の放流は、現在に至る生態系を撹乱する外来生物のありかたを考えるきっかけとなりました。そんなカムルチーも、ブラックバスやブルーギルの増加と共に生息数を減らしているとの報告も届いています。

◎タウナギ(写真⑪) Aa要注目種 全長40~80cm
京都府南部の水田や小川で見られるタウナギは、ウナギやドジョウのようなヒレもなく、一見するとヘビのようで「カワヘビ」の俗称も残っています。成長過程で性転換することや、口の中で卵や稚魚を育てるマウスブリーダーで知られるタウナギは、中国から朝鮮半島、東南アジアに広く分布し、中華料理の食材としても知られています。南山城地方のタウナギのルーツをたどると、明治時代に奈良県桜井市に持ち込まれた「タイワンドジョウ」や「チョウセンドジョウ」と呼ばれたタウナギが、田んぼの畔や用水に穴を掘る各地の被害拡大の経年変化の記録も残っています。

◎ジャンボタニシ(写真⑫) Aa被害甚大種 直径45~85mm
ジャンボタニシと呼ばれる南米原産のスクミリンゴガイは、1980年代に宇治市で養殖されていましたが、食文化として定着せず廃業に至って放置されたものが、隣接する巨椋池干拓田の水路で大繁殖しました。当時から稲を喰い荒らすとして和歌山県や静岡県で問題になっていましたが、当地では田植え時期が遅く、水路には餌となる水草が豊富で水田への侵入も少なくさしたる被害はありませんでした。それでも水路の駆除活動は続けられ、1990年初頭の地方紙には舟いっぱいのジャンボタニシと直径13cmもの大物捕獲の記事が掲載されています。現在、南山城地方全域に広く分布するジャンボタニシの侵入経路では、巨椋池干拓田から各地に出荷された田植えの苗床の稲に稚貝がまぎれたものとされています。植物の茎や側溝などに派手なピンクの卵塊を産み付けますが、毒性があり駆除の際には注意が必要です。