重要文化財「観音堂」100年ぶり修理/平等院
100年ぶりに修理が行われる観音堂(平等院提供)

世界遺産・平等院の境内にある重要文化財・観音堂の修理が16日、100年ぶりに始まった。主体は平等院で、事業は京都府教育庁に委託。記録・調査は同院が担う。
観音堂は、境内の東北隅、宇治川に面して建っている、府下でも珍しい鎌倉時代初頭の建物。内柱に「文治」年間(1185~1190)の墨書が指摘されている。
南北約19㍍、東西約10㍍、高さ約10㍍。寄棟造、本瓦葺で、廻縁跡が残っている。材料の枯渇する時代で、ヒノキ以外にさまざまな木材が使用されている。
同院では中心的な建物として阿弥陀堂(現在の鳳凰堂)があったため、ほとんど注目されず、修理の手もほとんど入っていない。前回の修理は宇治川改修堤防に合わせた1922~23(大正11~12)年。その際、堤防に合わせて約10㍍南にずらすため解体を行っているという。

新造中の本尊(平等院提供)

今回の修理は、創建当初に近づける、復元的整備を行う。屋根瓦補修、堂内・床板復旧、縁をバリアフリーとして擦り付け、新造の本尊安置…などを行う。
工期は約2年5カ月を見込んでおり、2026年中ごろに落慶する予定。修理の進捗に合わせ、見学などを設定する。
修理後は誰でも入堂できる環境を整え、法話会や写経など、一般へのさまざまな仏教行事に対応する。
工事に際しては、①当初瓦、中古瓦など、全ての時代の古瓦の採用率50%確保を目標とする。多少の破損を容認するために、「雨漏」に対し「瓦」だけに頼らない工法をとる。吹かれていた土を、プラントを造り再生し、伝統的な土を葺く本瓦葺きを行う。②いったん瓦と葺き土を取り去り、野地が見えた時点で、野地以下の破損状況を十分吟味した上で、最終修理方針の検討を修理ワーキング会議(座長=山岸常人京都大学名誉教授<建築史>)にて行う。不用意に分解を進めず、現状維持を目指す。③野地以下の小屋組みに関しては、瓦の分解後に綿密な破損状況の確認を行った上で、「保存」を念頭に具体的な修理計画の立案を行う。④建物に残る痕跡を最大限に調査して記録を作成し、復原考察と建物改変の経過を解明する。⑤正面扉や板戸に残る「墨書」の調査と記録作成、解明を行う。⑥縁廻りに関しては、痕跡による復原検討を行い、修理後の公開計画(縁とスロープ)を策定して、整備を目指す。⑦保存修理に伴う工事記録、調査記録をまとめて公表する。
山岸座長は、「平等院観音堂は、藤原頼通による鳳凰堂建設に先立って立てられた本堂の後身に当たる建物で、鎌倉時代前期の再建とされている。今回の屋根葺替を中心とする修理工事の機会に、建物全体の詳細な調査を行い、観音堂に刻まれた歴史を解明することとした。建物そのものの改修の過程、瓦の変遷、建物に書かれた墨書の内容など、これまで知られている以上に多くの歴史的事実が解明されることが期待される」とコメント。
神居文彰住職は、「『地角飛円の2重垂木』は天平時代と鳳凰堂に見られる様式であるが、この観音堂にも採用されている。京都でもほとんど残っていない鎌倉時代初期の建物修理が始まる。開創期の本堂指図とほとんど変わらない姿は何を意味をするのか。これまで、平等院にあってほとんど注目されていなかった建物である。100年ぶりの修理でそのいったんが究明されることをのぞみ、修理後の多彩な活用を強く願う。わくわくした、歴史のロマンそのものである」と期待を寄せている。